終末期看護をしていくなかで、大切にしていきたいと考えているのは「グリーフケア」であり、兼ねてから長年活動をされている「グリーフサポートせたがや」に関心を抱いていました。
この度グリーフサポートせたがや主催で「大切な人をなくした子供のサポートを考える会」が、存明寺というお寺で開かれるというので参加してきました。存明寺でも「グリーフケアの集い」を3ヶ月に一度開催されているということもあり、開かれているお寺なのだと感じました。
お寺の本堂には、心に響く言葉が並んでいて・・・・・
せみの鳴き声と、風が本堂に入る中、マギーズセンター(イギリスのがん患者の人達が自分を取り戻すためサポートの得られる空間を大事にしたセンター)が作成した「教育現場におけるグリーフサポート」を涙しながらみました。
子供達なりに、大切にしている人を亡くした苦しみがある中で、大人がどのようにかかわっていくかが、わかりやすく描かれていました。一番大切なことは、その子供に対して、関心を持ちいつでも見守っている姿勢があることだということ。
その映像の余韻が残るなか、坂本九さんの娘さんである大島花子さんのライブが行われ、美しい歌声と、ギターの調べを楽しませていただきました。
花子さんが11歳の時にお父さんを事故で亡くされた時、一番記憶に残っていたのは、事故の前日の日であったという。
庭でお父さんが汗をかきながら、庭掃除をしていて、お母さんがかき氷を作ってくれた何気ない昼間の出来ごとが、キラキラとして心に残っているのだと話されていました。当たり前にある生活が、一変して変わった時、その何でもない普段通りの生活が、何よりも愛しくて大切だということを小さいながらに感じていたのだろうなと思いました。
「悲しみはなくならない・・・・その悲しみを自分の中で大事に生きていこうと思うようになりました。くよくよしちゃいけない、前向きにならなくちゃいけないと思わなくていい・・・・会いたい人には会いたいと言っていいんじゃないか・・・・だから、私は会いたいと言う歌を歌うんです」と言って
お父さんの遺した名曲『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』をうたってくれました。
私が緩和ケア病棟にいた時に、レクリエーションの中で、夏にはこの歌を選曲してよく患者さんと歌ったものでした。
『上を向いてあるこう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く ひとりぼっちの夜・・・・』
いつかこの世を去りゆかなくてはならない患者さん、そしてそれを見送らなくてはならない家族・・・・それぞれの想いがこみあげてきて、涙している人と共に歌を歌ったことを思い出しました。
亡くなった人のことを思い出して、泣いて、それを分かち合う場があるというのは、誰かしらの救いになるのだという確信と、私自身も泣ける場所があったことに感謝してお寺を後にしました。
街のイスキアにとって、どんな形でグリーフケアを提供していったらよいのかは、まだ試行錯誤中ですが、亡くなった後をも支える場でありたいとまた強く思いました。
街のイスキア訪問ナースステーション 所長 石川
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